2007年04月09日

混乱の真犯人は誰だその4 使われている文字は字形であっても拒否するのは非現実的だ

 この包摂基準のいい加減さが、JISは文字数を増やす方向に向かわせた。まず、五千文字を越える補助漢字を制定した。これらはそのままユニコードに採用された。JIS 0213では補助漢字を無視したが、約3700文字もの文字数を第三水準や第四水準で増やした。

 こうして文字を増やす背景には、

もっと文字を増やせ
この文字をJISに追加しろ
私の名前を使えるようにしろ
住んでいる地名がパソコンで打てない


などという、「いわれなき」圧力が絶えずあったからだろう。とくに人名や地名などはこだわりの強い人は少なくない。

 それらの要望は必ずしも「いわれなき」ものではない。そういう要望があるのは、当然なのである。コンピュータの環境がプアな時代に規格化された文字コードに、誰しもが満足するわけではないのである。文字を増やしたいと思う人は、世の中には沢山いるのである。

 勘違いしないでいただきたいのは、私は第三水準や第四水準を追加したことで、JISを非難する気は毛頭ないということだ。第三水準や第四水準で文字数を増やしたのは時代の流れの中で、当然の成り行きなのである。包摂主義が看板倒れをなってしまうことも、それもまた至極当然のことだとおもうのである。

 ただしJISが未だに時代遅れに感じるのは、相変わらず文字を「字体」と考えていることだろう。必要なのは、便宜的に包摂される字体ではなく、字形なのである。

 補助漢字に「梯子高」が採用されたとき、大きな反響を呼んだ。梯子高という字体は存在しないという意見が少なからずあったのである。つまり、明朝体やゴシック体は「口高」で、楷書で文字を崩したときに「梯子高」になるので、

明朝体やゴシック体で「梯子高」は間違いだ


ということである。フォントデザインが変わったことで見え方も変わってしまった字形の違いを、字体の違いとして捉えるな、というのが反対意見の趣旨だった。

 ところが、現実には、明朝体やゴシック体での梯子高が使われていたのである。とくに人名でも梯子高の「高橋さん」がいたりする。となると、字形の由来はどうあれ、印刷用の字形として

「梯子高」は必要だ

という現実論がでてくる。世間で既製事実化してしまったものを、理屈で押さえることはできないのである。たとえば「一生懸命」という言葉があるが、もともと「一所懸命」という四字熟語であった。十年前くらいであれば「一生懸命」といえば、

最近は若い者は言葉を知らないな。それは「一所懸命」といって、
昔の武士が自分の土地を命懸けで守ったことことを言うんだよ。


と物知りにたしなめられたものだ。しかし、どうだろう、いまでは「一所懸命」などとはだれも言わないし、テレビ放送の字幕でもちゃんと「一生懸命」と表示される。つまり、既製事実化して「一生懸命」という四字熟語は当たり前のように受け入れられているのである(「一生懸命」は、広辞苑にも「一所懸命」から転じた言葉として掲載されている)。

 文字も同じである。理屈や由来はどうあれ、既製事実化したものを禁止することはできない。たとえJISの言う字形の違いであっても、使われてしまえば、少なくともJISの規格化以前に使われていたとしたら、それを強制的に禁止するのは独裁国家でなければ無理だろう。

 要するに、文字の規格に求められているのは、恣意的に包摂された字体ではないのだ。字体の追加を求めているのではなく、実際に使われている「字形」の追加を希求しているのだ。それをJISをもっと的確に把握すべきであったと思うが、成り行きの中で混乱して、規格の基準が曖昧になったことは否めないだろうと私は思う(JISの規格化の作業はたいへんな作業なので、それを責める気は毛頭ありませんけどね)。




posted by 上高地 仁 at 11:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | Vistaフォント、混乱の真犯人は誰だ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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