JISは包摂主義だ
という。しかし実はそれはたいへん怪しい。もし「包摂主義」をうたうのであれば、第三水準や第四水準など定めるべきではない。むしろ、第二水準にある包摂されるべき字形をすべて削除してスリム化した規格をJISで決めるべきなのである。
たとえば、JIS90の文字の中には、字形差しかないと思われるものがいくつか含まれている。
「奥(区点17.92)」と「奧(区点52.92)」
「殻(区点19.44)」と「殼(区点61.55)」
「盗(区点37.80)」と「盜(区点61.25)」
などである。これらは、字形差ではなく、字体差だという意見もあるだろう。しかし点が1つあるとかないか、線が一本あるとかないとかは、筆記体を書き写すときに生じた誤差であって、元々の文字は同じものである。
したがって、たとえ字体差だとしても、上記のような字形は、包摂してしかるべきものではないだろうか。いずれかは本来、不要な字形なのである。「奧」「殼」「盜」などの字形は、人名や地名で使わなければ使うことはない。「奧」「殼」は人名で使われているが、「盜」は不要だ。「JIS漢字辞典」でも、「盜」には人名も地名も表記されていない。「盜」で検索すると、中国語のサイトばかりヒットする。
包摂の定義をご存じだろうか。文字の包摂については、JISの規格表に解説がある。包摂は字形の違いをまとめるものではない。同じような複数の「字体」を1つの文字として扱うのが「包摂」なのである。つまり、字体が違っていても包摂できるのである。JISでは
複数の字体を区別せずに、それらの字体に同一の区点位置を与えることをいう。
と包摂を定義している。
ただし、どの字体と、どの字体を包摂するのかは、必ずしも明確な基準があるわけではない。JISが調べた中で、「包摂すべきだ」と考えた字体差や字形差は、1つの字体として扱うのが包摂なのである。意地悪く言うと、包摂する基準は担当者の主観で決まる。上記のように、包摂されるべきと思われる字体でも、そのまま残っているのである。
したがって、包摂対象になる字体は、JISの制定方針によって変わってくる。制定年度によって構成する委員も変わってくるからだ。もし変わらなくても、考え方が変わることもある。ある年度によって包摂するとした字体を、次のJISの規格では包摂対象から外れて、独立した字体として扱われることは十分あり得るのである。
JISの規格表には包摂した理由が個別に解説されている。しかし、それらはあくまでそのときの委員会の判断であって、未来永劫、その判断を制限するものではない。時代とともに、判断基準は変わっていくと考えるのが自然である。
つまり、「包摂」は恣意的・便宜的に使われているわけである。包摂基準は存外いい加減なのだ。JISは原則は包摂主義だが、それを一貫させるわけではなく、適宜状況にあわせてその基準は変わっていくと考える方が自然だろう。