古いOSのドキュメントは開くな
と言わんばかりである。そこまでして、印刷用の字形をJIS2004にあわせる必要はあったのだろうか。使われる文字が非互換になるというデメリットを補うだけのメリットがそこにあるのだろうか? そして誰がメリットを享受するというのか? 謎だらけである。
Vistaフォント問題は、実はMicrosoft問題ではない。Microsoftに非があるのかというと、おそらくそうではないだろう。Microsoftが考えていることは、文字コードの整合性などではない。Microsoftは、単にそこにあったものを拾っただけである。
もし、拾ってはいけないものを拾ったMicrosoftに問題があると言われると、確かにそうかもしれない。それは否定しない。しかし、どうだろうか、問題になるようなものをそこに置いた方にこそ、真の問題の原因があるのではないかと。
つまり、文字コードと字体と字形の扱いについて、統一した理念を持たず、フラフラと揺れ動く日本側の混乱にこそ原因がある。ねじの狂った時計の振り子のように、右往左往する文字の規格にこそ原因があるのだ。
もともと、JISは古い字体を採用して文字の規格を決めた(JIS78)。ただし、字体には異体字が多々あり、標準化についてはさまざまな思惑が絡んだ。議論が絶えないので、JISは逃げ道を作った。それが
包摂
という言葉である。もともと、概念の従属関係を表す言葉だが、それを字体と異体字の関係に適用したのである。
包摂を掲げた理由は、もう1つ考えられる。それは、実装できる文字コードの数である。ワープロが生まれたときは、多くの字体を搭載することは不可能であった。「包摂」して、似たような字体は絞るしかないのだ。だから、包摂して複数の字体を同一の文字コードを割り当てて規格化したのである。
JISが規格化するのは、「字体」である。「異体字」や「字形」の違いは、実装するフォントベンダーに任せるというやり方をとった。字体は文字の骨格を決めるもの。点の数や跳ね方、払いや止めの違いは問わない。そのあたりは、フォントを作成するベンダーに球を投げたのである。
しかし、JISでは規格表を印刷するときに「例示字形」として、見本の字形を掲載した。あくまで見本である。しかし、フォントベンダーはその例示字形を、ほぼそのまま採用してフォントを作成した。もちろん、明朝体は「口高」で、楷書体は「梯子高」という使い分けは、フォントベンダーの裁量に含まれる。
JIS78とJIS83では、多くの旧字形が簡略化された新字形に差し替えられた。およそ300文字である。JIS78と83では、字形の変更には大きな問題にならなかった。答えは簡単である。なぜなら、
アウトラインフォントがなかった
からである。アウトラインフォントがなければ、字形の違いを問うことは事実上不可能だ。