2011年10月12日

ジョブス亡きアップルの展望はいかに〜死せるジョブズ、生ける我々をまだまだ驚かせる〜

 スティーブ・ジョブズがなくなりました。ご冥福をお祈りいたします。56歳というとうてい長いとは言えない人生でしたが、これほど多くの人に影響をもたらした天才はそれほど多くないでしょう。百年経って振り返れば、二〇世紀から二十一世紀のIT産業のトップスターは間違いなく、ジョブズです。

  『マッキントッシュ伝説(斉藤由多加著/アスキー出版局)』という本があります。Macintoshが生まれた時代を振り返ろうと思い、すこしページをめくってみました。この本にはMacintoshが開発されたときの、関係者のインタビューが生々しく掲載されています。読み返してみると、ジョブズの強い思いが、コンピュータを身近なものにしたことを再確認しました。

 コンピュータが本当の意味でパーソナルになるには、GUIの存在が欠かせません。アラン・ケイが開発したAltoにその萌芽があり、パロアルト研究所でそれをみたジョブズによって、製品化されました。Lisaを経てMacintoshで花咲いたのです。Macintoshがなければ、Windowsもありませんでした。MS-DOSがコマンドラインのまま不気味にバージョンを重ねていたかもしれません。

 Macintoshが発売されたのは、1984年ですが、ジョブズは自ら誘い込んだスカリーによって、翌年アップルを去ります。ジョブズとスカリーのDynamic Duoが決裂したのは、販売を始めたMacintoshが予想通りに売れず、大幅な過剰在庫を抱えてしまったからです。

 Macintoshは有名な「一九八四」のCM効果もあって当初は順調に売れましたが、販売予測を誤り作りすぎたのです。また、Macintoshが売れたことで、収益の柱であったApple IIも売れなくなり、アップルは赤字になりました。ジョブズは去ったものの、Macintoshというコンピュータのみがアップルに残りました。

 リストラまで断行したアップルのMacintoshが売れるようになり、アップルを救ったのは、DTPでした。

PostScript
PageMaker
LaserWriter


の3つをMacintoshで実現したことで、Macintoshは個人ユーザーだけでなく、法人ユーザーを獲得しました。アップルは業績を回復し飛躍していくことになります。DTPは1986年に始まり、翌年の1987年にはAppleの業績を立て直しました。DTPの基本的な方向性はジョブズのいた頃に用意されていましたが、Macintosh発売時には完成していなかったのです。

 MacintoshでのDTPはオフィスでの高品質なプリンタ出力を果たし、やがて印刷業界もPostScriptをベースにしたDTPにリプレースされていきます。ジョブが蒔いた種は彼がやめても成長していきました。その後の日本でMacintoshをもっとも多く買っていたのは印刷会社と歯科医でした。それ以外は一部の熱狂的な個人ユーザーだけしかMacintoshは買いませんでした。

 DTP以外の法人用途を開発できなかったMacintoshはその後低迷していきます。個人ユーザーも法人ユーザーも、GUIを取り入れたWindowsが席巻していくことになります。1990年代の半ば以降はアップルはいつ倒産・買収されてもおかしくない会社になり、絶えず現金不足に悩まされるようになりました。

 CEOはスカリーが辞めた後、スピンドラーが継ぎ、そして再建屋のアメリオがその任を負います。アメリオはアップルを普通の大企業に作り替えることに成功しましたが、新しい技術や製品は生み出せませんでした。ジョブズのNeXTを買い、MacintoshのOSを一新しようとしました。それが1997年です。

 古巣に戻ったジョブズは味方を増やし、再建屋のアメリオを退場させました。アメリオがいなければいまのアップルはなかったかもしれません。しかし新しいアメージングなアップルを生み出すことはなかったでしょう。絶妙のタイミングでアップルの経営権はジョブズに戻ったのです。

 その後、喪に服したように三年間はCEO職に就かず、iMacをデビューさせてアップルでの地歩を固めていきました。そしてiTunesをへてiPod、iPhone、iPadへとアメージングでワンダフルなエスクペアレンスを実現させました。これらはジョブズ個人の強烈な拘りが実現させたといっても言い過ぎではないでしょう。

 ジョブズはなくなりましたが、彼の残したエスクペアレンスな製品や技術、アイディアはこれから、広く拡散して身近なものに浸透していくのではないかと思われます。当分はパーソナルコンピュータはタブレットも含めて、革新的な製品は生まれず、いまある製品をブラッシュアップしていくことになりそうです。世の中を変えるような革新的な製品は、おそらくジョブズに匹敵する天才の登場を待つしかなさそうです。

 ジョブズが関わり企画したものは、アップル社内にまだまだたくさんあるはずです。これからそれらを具体化していくことになるでしょう。それで数年、あるいは十年くらいはアップルは安泰かもしれません。

Stay hungry, stay foolish.

の精神を持ち続けることのできる人材がいなくなるまでは大丈夫でしょう。

 1985年に辞任したジョブズですが、辞める前に企画していたDTPシステムがのちのアップルを救ったように、まだまだ残されたアイディアはたくさんあるはずです。死せるジョブズは生ける我々をまだまだ驚かせてくれるに違いありません。



 ところでアップルは新製品の案内はメールやニュースで送ってくるのに、ジョブズ逝去はメールやニュースでプッシュしなかった。社員に送ると同時にユーザーにも送信するべきだった。これはクックの手落ちだと思うけどね。テレビのニュースで知るなんてスマートじゃないからね。



*11月6日にメールで配信した記事を転載しています。Twitterではやはりジョブズを孔明に喩えるつぶやきが多いみたいですね。まあでも孔明は補弼の才があり、比べるとしたら曹操に近いかもね。なんたって「暴君」だし最後は天下を取ったからね。




◆関連書一覧
Macintosh開発の裏話は「マッキントッシュ伝説1 マッキントッシュ誕生の真実」で、ジョブズとスカリーのDynamic Duo結成と破綻は「スカリー」で、ジョブズ復帰までのエピソードはジム・カールトンの「アップル」、アメリオからジョブズへのバトンタッチは「アップル薄氷の500日」に詳しい。最新の伝記はウォルター・アイザクソンの「スティーブ・ジョブズ」をご覧ください。


 


 





 


 



 
posted by 上高地 仁 at 19:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | Apple/Macintosh/iPhone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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