「プリンターズサークル」は、毎年四月に印刷業界の統計資料が載っていてそれをみると、業界全体の流れがわかったのでいつも楽しみにしていた。今月号も2006年の印刷産業の出荷額が書かれていたが、それによると
6兆8558億円
だという。バブルの直前の出荷額は8兆円を越えていて、そのころの下馬評では、今頃は「20兆円産業だ」という声も聞こえたこともあったが、ITの取り込みは夢に終わり、デジタル化のおかげでコストダウンが劇的に進んだ。売り上げが向上することはなく逆に厳しく減退した。
「プリンターズサークル」の最終号に「プリンターズサークル30年を振り返る─これからの印刷ビジネスは」という特集で、何人かのプリンターズサークルの執筆者からの寄稿記事が寄せられていた。
最初の記事は浅井豊彦さんからの寄稿であった。タイトルは
印刷会社はそれぞれの答えを見つける必要がある
というものである。記事の中身は紹介しないが、このタイトルを見るだけで、印刷業界という括りが実態をなさなくなっているのではないかと感じてしまう。
戦後の印刷業は、設備産業として始まった。印刷機を持っていれば商売になった。印刷機を持つことがビジネスモデルだったのである。営業しなくてもいくらでも仕事があった時代である。印刷需要が旺盛で印刷機がすくなっかった時代は、およそ高度成長期まではつづいたとみてよい。その後は印刷会社が増えて、成長期をへて過当競争の成熟期にいたり、DTPというデジタル化の技術革新によって、競争は青天井かと思わせるほど激化していった。
もともと印刷業界は旧通産省の管轄にあり、通産省と印刷業界をつなぐパイプとして印刷工業組合が組織された。印刷工業組合をサポートする関連団体としてJAGATは生まれた。競争が激しくない時代は、JAGATは印刷業界の情報交換におおいに活躍した。他者の成功事例を取り入れることが、そのころの印刷会社のビジネスモデルだったからである。
成長期から成熟期にかけて、生産技術より営業方法に重点がシフトし、顧客にあわせて印刷会社が変貌していった。総合印刷業が影を潜め、印刷業界でもニッチビジネスが躍進した。他者のモノマネは通用しにくくなり、競争から一歩離れて、競合他社が少ないマーケットの開拓した印刷会社だけが発展したといえる。
「プリンターズサークル」のキャッチフレーズは初期の頃は「現場に生きる印刷営業、技術・管理の専門誌」というベタなものだったが、バブルの頃は
印刷を学び未来を考える
というものだったという。最後のキャッチフレーズは
印刷ビジネスの現在と未来をつなぐナビゲーションマガジン
となっている。バブル期の「未来」は輝かしいものだが、現在の印刷会社の「未来」は重くのし掛かる脱皮の苦しみかもしれない。答えを見つけて脱皮した後の印刷会社は、たとえ印刷機を持っていても、従来の印刷会社とは違ったものになるに違いない。
となると、印刷業界でのノウハウの共有を目指したJAGATの会誌も、衣替えは必要だろう。個別の答えを必要とする印刷会社にとっては、新しい酒を入れる新しい革袋こそが手に入れたいものだからである。
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